Saturday, November 27, 2010

偶然の出来事

たま~にあることなんだけど・・・・

『あれ、これってただの偶然???』って思うような出来事がある。


今日の偶然は・・・


私は、時々、何か英語の単語やフレーズで、面白いな。。。とか、こういう言い方があるんだ。。。って思ったものを書いて、ポストイットって呼ばれるメモの紙に書いて、壁に貼っている。

それは、それらを覚えたいから、書いておいて、ときどき見て思い出しながら少しずつ覚えようという目的。


そしたら、先週、壁にいくつか貼ってあるうちの1枚が、ポロっと下に落ちた。
それには、<serendipitious 偶然の、思いもかけない (5/27/2010)>って書いてあった。

『ああ、そうだ。。。こんな言葉もあったなあ。。』っと思って、そのまま、それは私のパソコンの目の前にただ置いていた。


そして、先週の日曜日に、南オーストラリア豪日協会(AJA-SA)主催でガレージセールをしたんだけど、
それに出店するために、いろいろと物を整理していた。

その時、ある、大きな筒状にまるめてあったポスターがあった。開いてみると、それは、メグ=ライアンとニコラス=ケイジ主演の映画「City of Angeles」のポスターだった。

10年以上前に、まだ一人暮らしをしていたときに、前そこに住んでいた人が、壁に貼ったままおいていったもので、なんとなく好きで、自分もしばらくは壁に貼ってあったんだけど、引越しを繰り返しながらも、そのままとっておいたものだった。

見つけたときに、『ああ、まだあったんだ。。。』くらいにしか思っていなかった。


そしたら、夕べ、キッチンで洗い物をしていたら、テレビで何か映画が始まったのがわかって、その時は、なんの映画かはわからなかったんだけど、リビングに行って見始めたら、どこかで見たような映画。。。

『あ、これってもしかして。。。』って見ていたら、この映画のとっても印象的なシーン、ビーチに黒いコートを着たエンジェル達(?)が夕陽を眺めながら、音楽を聴いているシーンが出てきて、「City of Angels」だってわかった。


『あら、先週のあのポスターは偶然なのかしら・・・?』と思いながら、私の好きなメグ=ライアンが登場したので、ひきつけられるように、見始めた。前に見たことはあるんだけど、詳しい内容はほとんど忘れていたから、新鮮な気持ちで見始めた。


そして、今度は、またまた偶然な出来事が。。。。

なんと、この映画の中で、病院に入院していたミスター・メッセンジャーという役の人が、そこで使った言葉。

それが、<Serendipitious> なの。

彼は、映画の中で、「なんてSerendipitious!なんだろう!Serendipitious!わかるかい、この言葉?辞書で調べてごらん!」とかなんとか言いながら、喜んでいたシーン(この部分は映画を見ないと意味がわからないと思うけど・・・)


といことで、私だって、彼と同じ気持ちだった(笑)



さて、まとめると・・・

Serendipitious の単語メモが壁から落っこちて、私に、何かメッセージをくれたこと
City of Angels のポスターが出てきたこと
City of Angels の映画がテレビで放映されて、それを見たこと
Serendipitious の言葉が使われたこと



そのどれも、私が別にそれをしようとした訳じゃないんだけど、、、

偶然にも、繋がったような気がする。

これが、<Serendipity 偶然>


本当に、面白いなあ。。。(nn)





Friday, November 26, 2010

結婚と期待

曽野綾子さんの本『「いい人」をやめると楽になる』<敬友録>より



p149

普通、結婚の時には、人は何とかして体裁を作ろうとする。まずは見合いの日には、娘たちはせいいっぱいきれいに見せようとする。身上書には、家族のすべてが健康でいい学校を出て、社会でもしっかり働いているということを書く。

しかし私はそうではなかった。三浦朱門が私と結婚してもいいと言った時、私は自分と自分の家庭の悪いところをまず並べ立てたのであった。

<中略>

私の家は、父母が不仲だったから、家の中は冷たいものであった。家庭の団欒などという言葉は娘時代の私には縁がなかった。いかにも穏やかに見える瞬間はあったが、それも気まぐれな父の気分一つでいつ変わるかわからない、という恐怖に私は絶えず脅えていた。

じつは私はそういう火宅のような家そのものを恥じていたのではないような気がする。しかし結婚する相手が、妻には当然のように、温かい優しい家庭に育った娘を期待しーーーということは、すんなりと育ってひねくれていない性格を求めているとしたら、私はその期待に反していた。だから正確にそのことを告げて、相手がそれでもいいかどうかを考えてもらわなければならない。

そういう意味では、私は正直であった、と言っていいだろうか。いや、それは少し褒めすぎのような気がする。私はつまり、後からクレームがつけられるのが怖かったのである。骨董屋に行くと十数枚揃いの小皿などに「少々キズあり」などと書かれた札がつけてあることがあるが、私はああいう小心な心の持ちようが好きであった。
「悲しくて明るい場所」



Wednesday, November 24, 2010

人がしてもしない

曽野綾子さんの
『「いい人」をやめると楽になる<敬友録>』より


p134

「人がしなくてもする」「人がしてもしない」が品位である


品位というものは、比較的地味な服装から滲み出ることが多い。
金とか、赤とか、紫とかいう色は、人目を引くことが多いが、そのような色を
上品に使うのはなかなかむずかしい。

服のように、外から簡単につけ加えることができるもので自分を主張することが、
まったく意味がないとは言えない。ファッション産業が立派にそのことの意味を
証明している。

しかし一面では、衣服などで自分の存在を主張してみても、つまらないことは
よくわかるのである。だからむしろ、くだらない衣服などで、人目を引こうと
いいう見えすいた計算を放棄することに意味が出てくる。

しかしそれは、別な面で、自分に自信のある人しかすることができない。
人よりでしゃばらないこと、功績を人に譲ることができること、黙っていること、
密かに善行をなすこと、自分の持っているものをみせびらかさないこと、
などは、すべて力のない人にはできない行為なのである。

そしてそれらのことが気品とか品位とかの本質になっている、と私は思う。

「黙って死んでいく」という言葉も私は好きである。

もちろん、私をはじめとして、人間はなかなかそういうことはできない。間違った
非難をされれば、私たちは大声で反論する。それが今では当然の人間の権利だと
思われる時代でもある。

しかしそんなことはできたら超越したいものである。自分の生き方を持っている限り、
それがいけないと言われても、変更する理由がないのである。

しかし現在、人間が関心を持つのは、風評であり、評判であり、金であり、時には
ただ何でもいいから有名になることなのだ。どんな行動でも、立居振る舞いでも、
道徳の範囲でも、世間がやるならやっていいのである。
(中略)
人がするからいい、のではないのである。
人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり、品位である、
と私は教えられた。

しかしそういう教育をしてくれる人に出会うことはめったになくなった。

「悲しくて明るい場所」より



贅沢な一生を決めるもの

曽野綾子さんの本
『「いい人」をやめると楽になる<敬友録>』より


贅沢な一生かどうかは愛のあるなしで決まる

最後に残すべき大切なものは「愛」だけだといったら、また歯の浮くようなことを言うと
嫌われそうだが、死ぬ時に、人間としてどれだけ贅沢な一生を生きたかは、どれだけ深く
愛し愛されたかで測ることになる。

愛は恋愛だけではない。男女の性の差も、身分を超えた、関心という形を取った愛の蓄積である。

それ以外のものは大地震の時の陶器のようにぶっ壊れる危険に満ち満ちているから、とても
カウントの対象にはならない。

「自分の顔、相手の顔」より



許すということ

今読んでいる本
曽野綾子さんの『「いい人」をやめると楽になる』<敬友録>

曽野さんが書いた数々の本の中から、それぞれのテーマに合った言葉や文章を
まとめたエッセー集。

曽野さんらしい、簡潔明瞭さは、とても読みやすい。


その中から


p154
「許すということ」

許すということほど、人生でむずかしいものはない。
(中略)
我々「普通の人」に許しを可能にするのは年月しかない。
時間というものは、何という偉大なものかと思う。
「狸の幸福」より

p160
生きる人の姿勢には大きく分けて二つの生き方がある、と私はよく思うのである。
得られなかったものや失ったものだけを数えて落ち込んでいる人と、得られなくても文句は
言えないのに幸いにももらったものを大切に数え上げている人と、である。
そしてカルマン夫人は間違いなく自分が得たものを忘れない人なのだろう。
自分の得ているもので幸福を創り出す力こそ、芸術というものだ。



Sunday, November 7, 2010

人間を止めない人

今日の午後、いつものショッピングセンターで買い物をしたあと、
カフェでコーヒーを飲みながら本を読みました。

私の大好きな時間です(^ー^)

今日は、最近読んでいた曽野綾子さんの本「中年以降」という本を
読み終わりました。

その本の最後の章「人間を止めない人」というところに、曽野さんが
初めて作ったという詩が載っていました。


この詩を読んだら、とっても感動して、涙が出てきて、
カフェで、一人、泣いてしまいました(笑)





☆.。.:*☆.。.:*☆.。.:*☆.。.:*

「人間を止めない人」 曽野綾子さんの詩


伸びたパーマの根っこから
染め残した白髪が無残に伸びているから。

ああ、あの人は女を止めたのだな。
だから灰色の枯葉模様のぽりえすてるのちぢみのブラウスを着て、
だから丈の短いズボンをはいて、
だからくたびれた靴を内股にして、
座っているのだな。

ところが突然、赤子を胸におぶった若い女が
ちょっと離れたところに向こう向きに立ったのに、
無関係のはずの女を止めた人が、
つっと立って行って若い女に席を譲った。

女を止めても、人間は止めていない人。


☆.。.:*☆.。.:*☆.。.:*☆.。.:*



曽野さんのコメント:

男性や同姓の目から見ても、女性としてなんのお洒落気もなくなった人でも、
人間を止めることさえしなければ、数秒後にはその輝きはあらわになるものなのである。
そして、往々にして皮肉なことに、外面的な魅力が失せた後にこそ、人としての魂の光栄
だけは強烈に全面に出るのである。


Saturday, June 12, 2010

自分の幸せに感謝する

2010年6月12日(土)


パートナーのスチュアートと、近くのショッピングセンターへ行った。

そして、いつものカフェでお茶をするために、

コーヒーとケーキを注文していたら、スチュアートの友人、イアンさんと偶然会った。


彼も誘って、一緒にコーヒーを飲みながら、おしゃべりを始めた。


彼は、最近、30年以上も一緒に暮らしてきた奥さんと別居生活に入り、

今まで住んでいた家には 奥さんが住み、彼はそこを出て、アパートへ引っ越して住んでいるという。


すごくいい人で、優しくて、私にとっても話しやすい人なので、本当に同情してしまった。




別居を始めた理由は、世間でよく言われる「性格の不一致」とでも言うのだろう。



奥さんにも何度か会ったことがあるけど、決して悪い人ではない。


ただ、英語で言うところの「コントロールフリーク」 なところがあって、

自分が相手に対していつも要求ばかりしている、っていうことに気がついていない感じの人。


これについては、男性女性、どっちにでもあるし、気をつけないと、誰でもそうなりやすいから、

私もスチュアートももちろん気をつけている。。。



優しいイアンさんは、ずっと、「はい、はい」って、奥さんの言うことに合わせて暮らしてきたみたい。

でも、それが、どうしてもうまく出来なくなって、『これでは自分の息が詰まってしまう。。。』と気が
ついて、別居という形になったみたい。

こういうのも、本当によくあるケースだと思う。。。。



さて、理由はどうであれ・・・・


一度結婚していて、別居したり離婚しなければいけないとき・・・

それは、スチュアートも、私も一応経験者なので、本当に辛いってこと、よくわかる。


普通の人にとっては(たぶんお金持ちでも貧乏人でも同じかも。。。)

精神的にも、経済的にも、ものすごく大変。

しなければいけない法律的なことやら、子供がいる人は子供の養育権と養育費のことも
あるだろうし、家や財産があればあったで、それをどのように分けるか。。。などなど
本当に頭が痛くなることが山ほどある。


それを、大抵の場合は、一人でやらないといけないから、

精神的にも辛いし、寂しいし、むなしい。。。


よけい、今のこの寒い季節、、心に隙間風が吹きつけるように、痛い。。。。




イアンさんが私達に言った。

「今僕が一番望むこと。。。。それは、暖炉のある部屋で、彼女と寄り添いながら、

暖炉の火を眺めたい。。。 ただそれだけなんだ。。。 本当にそれだけだよ。。。」



彼の気持ち、と~ってもよくわかるので、つい、またいつもの癖で、うるうると涙が。。。。


だって、私も、そうだったもの。。。


本当に、イアンさんの言う言葉のとおり。。。。

誰か、自分の話を黙って聴いてくれて、、、、、

静かに、寄り添って、、 、、、

気持ちを語り合えたら、これ以上は望まない。。。。。


って、本当に、イアンさんとおんなじように、何度思ったことか。。。。


あの辛さは、思い出しても、涙が出てくる。







そして、はっと気がついたこと。。。。。。。。



『今、私とスチュアートって、、、ぜ~んぜん<裕福>じゃないけれど、、、

まさに、イアンさんが望んでいる、「幸せ」だけは持っているんだわ。。。


一緒にそばにいられて、心が通じ合っていて、


笑いあえて・・・・


これ以上の幸せってあるだろうか。。。。』





イアンさんの言葉を聞きながら、自分の立場に置き換えたら、

どうしても出てくる涙を抑えられずに、彼の前でうるうるしてしまった・・・


ある本に、
「人は、どうしても他の人と比べる悪い癖がある。

それも、いつも、相手がうまく行ってるときと、自分の大変な時を比べる。。。

自分がどれだけ恵まれているか、、、を見ずに、探さずに、

なかなか感謝ができない。。。。 」 って書いてあった。



私は、日ごろ、自分はラッキーだと思っているつもり。。。。

でも、やっぱり時々、上の本の中の言葉のように、人と比べて、

『ああだったらいいのに、、、、こうだったらいいのに。。。。』と思うことがある。


でも、今日は、イアンさんの言葉で、本当に、あらためて、今の自分の立場に感謝した。



イアンさんが早くこの辛い状態から抜け出せることを祈りつつ


私自身、「自分がいかに恵まれているか、、、」に感謝して


これからも、この気持ちを忘れないようにしたいものだわ。






Monday, May 3, 2010

腹八分目の妻(^s^)

今日のスチュアートの日本語(2010年5月4日(火))偏


出演/ K:京子 S:スチュアート


K: あああ、ダイエットしないとねええ。。。
  またトニーファーガソンのダイエットしようかぁ?

S: だいじょうぶ、<はち はらぶんめ> 食べればいいんだから。。。。

K: あはは、それって<はら はちぶんめ>よ(笑)

  ********************************************* 

S: 京子、ワイフは日本語でなんですか?

K: <つま>とか。。。<かない>とか。。。

S: <つま> は レスラーと同じ発音かい?

K: レスラー?(笑)。あ~あれは、<す・も・う>、ワイフは<つ・ま>

S: ふ~ん



<つ>の発音がどうしても苦手なスチュアートには、<つ>と<す>が同じに
聞こえてしまうみたいで、発音するのも、<好き>=<月>ってな感じです。

前よりはかなり良くなったけど。。。でもやっぱり、毎回毎回、<つ!><す!>って練習しないと
いけません。

まあ、私の<L>と<R>の発音も、よく間違えるから、どっこいどっこい・・・あ、これ<すもう>(笑)