Friday, November 26, 2010

結婚と期待

曽野綾子さんの本『「いい人」をやめると楽になる』<敬友録>より



p149

普通、結婚の時には、人は何とかして体裁を作ろうとする。まずは見合いの日には、娘たちはせいいっぱいきれいに見せようとする。身上書には、家族のすべてが健康でいい学校を出て、社会でもしっかり働いているということを書く。

しかし私はそうではなかった。三浦朱門が私と結婚してもいいと言った時、私は自分と自分の家庭の悪いところをまず並べ立てたのであった。

<中略>

私の家は、父母が不仲だったから、家の中は冷たいものであった。家庭の団欒などという言葉は娘時代の私には縁がなかった。いかにも穏やかに見える瞬間はあったが、それも気まぐれな父の気分一つでいつ変わるかわからない、という恐怖に私は絶えず脅えていた。

じつは私はそういう火宅のような家そのものを恥じていたのではないような気がする。しかし結婚する相手が、妻には当然のように、温かい優しい家庭に育った娘を期待しーーーということは、すんなりと育ってひねくれていない性格を求めているとしたら、私はその期待に反していた。だから正確にそのことを告げて、相手がそれでもいいかどうかを考えてもらわなければならない。

そういう意味では、私は正直であった、と言っていいだろうか。いや、それは少し褒めすぎのような気がする。私はつまり、後からクレームがつけられるのが怖かったのである。骨董屋に行くと十数枚揃いの小皿などに「少々キズあり」などと書かれた札がつけてあることがあるが、私はああいう小心な心の持ちようが好きであった。
「悲しくて明るい場所」



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