Wednesday, November 24, 2010

人がしてもしない

曽野綾子さんの
『「いい人」をやめると楽になる<敬友録>』より


p134

「人がしなくてもする」「人がしてもしない」が品位である


品位というものは、比較的地味な服装から滲み出ることが多い。
金とか、赤とか、紫とかいう色は、人目を引くことが多いが、そのような色を
上品に使うのはなかなかむずかしい。

服のように、外から簡単につけ加えることができるもので自分を主張することが、
まったく意味がないとは言えない。ファッション産業が立派にそのことの意味を
証明している。

しかし一面では、衣服などで自分の存在を主張してみても、つまらないことは
よくわかるのである。だからむしろ、くだらない衣服などで、人目を引こうと
いいう見えすいた計算を放棄することに意味が出てくる。

しかしそれは、別な面で、自分に自信のある人しかすることができない。
人よりでしゃばらないこと、功績を人に譲ることができること、黙っていること、
密かに善行をなすこと、自分の持っているものをみせびらかさないこと、
などは、すべて力のない人にはできない行為なのである。

そしてそれらのことが気品とか品位とかの本質になっている、と私は思う。

「黙って死んでいく」という言葉も私は好きである。

もちろん、私をはじめとして、人間はなかなかそういうことはできない。間違った
非難をされれば、私たちは大声で反論する。それが今では当然の人間の権利だと
思われる時代でもある。

しかしそんなことはできたら超越したいものである。自分の生き方を持っている限り、
それがいけないと言われても、変更する理由がないのである。

しかし現在、人間が関心を持つのは、風評であり、評判であり、金であり、時には
ただ何でもいいから有名になることなのだ。どんな行動でも、立居振る舞いでも、
道徳の範囲でも、世間がやるならやっていいのである。
(中略)
人がするからいい、のではないのである。
人がしてもしないし、人がしなくてもする、というのが勇気であり、品位である、
と私は教えられた。

しかしそういう教育をしてくれる人に出会うことはめったになくなった。

「悲しくて明るい場所」より



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