Sunday, August 30, 2009

字はなんのために学ぶのか

2008年12月20日20:08 ミクシーに書いた日記から


クリスマスまであと5日。

筆不精な私は、とうとう今年もクリスマスカード、出さずに終わりそうです。
そして、日本の人達にも、年賀状をもう出さないといけないのに、 まだ出していません。

特に、このEメールの時代になってから、益々手書きでカードや年賀状は出さなくなりました。
でも、みんながみんなコンピューターを使っているわけじゃないので、何人かの人達からクリスマスカードをいただいているんですが、こちらからは出していないんです。。。ごめんなさい。

『せめて、、、』と思って、電話はしましたが・・・・

ということで、夕べの<J-Talk>(私もボランティアでプレゼンターをしているラジオ)で、以下のようなお話をしましたので、ここにも載せますね。

このお話も、読むたびに泣けてしまいます。


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今夜は、「人間は何のために文字を学ぶのか」 ということについて書かれたあるお話をさせてもらいたいと思います。 これは、作家、三浦綾子さんの 『生きること思うこと』という本の中からの抽出です。 そして、「ニューモラル」という小さな冊子に載っていたものの一部です。


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作家の三浦綾子さんは7年ほど小学校の教師をしていました。 そのときの教え子にK子ちゃんという遅進児がいました。K子ちゃんは「からだ」を「かだら」といい、「うれしい」を「うでしい」と言いました。らりるれろとだぢづでどが、すっぽり入れ替わるのです。

字を覚えるのも遅く、九九も間違えてばかりいました。にこにこしてはいますが、4年生なのに1年生にしか見えませんでした。 K子ちゃんが5年生になるとき、三浦さんは結婚のために退職しました。

しかし、2ヵ月後に肺結核が発病し、療養所に入院しました。 その後何年か三浦さんは教え子たちに慰められ、励まされました。が、療養生活は13年間続きました。

11歳だった子ども達が24歳になるまで寝たわけですから、結婚した女の子も多く、他の地に転じた男の子もある、ということで、見舞ってくれる教え子たちの数も少なくなりました。

そんな中で終始変わらず見舞い状をくれたのは、あのK子ちゃんだったといいます。
K子ちゃんはある商店のお手伝いに住み込んでいて、休みをもらえず、見舞いにくることはできませんでしたが、手紙はよく書きました。

相変わらず、「おかだらをらいじにしてくらさい」 というようなたどたどしい手紙でしたが、それでも長い間には、いつのまにか漢字も少し書くようになりました。とはいっても、小学生のような手紙ではありましたが。

あるとき、三浦さんの母親が病気で倒れたのを知ると、彼女はひまをもらい、二日ほど手伝いにきてくれたことがありました。

三浦さんは書き綴ります。
「そして、その後も、たどたどしい手紙は、私の病気が治るまで続いた。

わたしは彼女の手紙を読みながら、いつも心を打たれ、そして教えられた。
『字はなんのためにあるか』と。
K子は級友のうちで一番成績が悪かった。字を一番覚えていなかった。
しかし、どの級友よりも彼女は数多く、私に見舞い状をくれた。
自分で知っているかぎりの字をかき集めるようにして書いた手紙をくれた。
彼女は字をたくさん知らなかった。
だが、『人はなんのために字を学ぶか』ということだけは、知っていたと、わたしは思った。
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